コザ 吉原を歩く
晴れたのでアーケードの無くなった銀天街でも撮ろうとコザへ。
パーキングに車を停め、コザ十字路の交差点へ歩いている時、ふと歩いたことのない吉原のことを思い出した。真栄原と同じく赤線である。
下調べもしないで向かってしまったので、情報は後からネットで調べることに。この街の成り立ちなどは他の情報を参考にされてください。
信号にも「吉原」の表記があります。が、町名ではないようです。東京の吉原からつけた地区の名前だそう。そのままですね。
信号を入ると国道329号から小高くなっている地形で登り坂。以前真栄原を見に行った時は看板すらありませんでしたがここはどうでしょうか。
おぉ。いきなりそれっぽい感じです。営業内容まではわかりませんが、現役感が漂います。後ろの割と新しめのマンションとの対比が面白い。
道を奥の方へ進んでいきます。人も歩いておらず廃業した店もたくさん。ちょっと不思議な空気感です。しかし廃屋っぽいところでも窓が開いていて中から洗濯機やテレビの生活音がしてます。営業はしていないけど住んでいるってことでしょうか。
よくあるのが「カフェー〇〇」とか「サロン△△」のような店名。特殊喫茶というやつです。
青空と相まって異次元感が増してきます。
左側の路地の階段を登ってみます。思ったより小高い。
住宅街?なのに不法投棄がすごいな。
登り切るとそこにもカフェーが。
そしてこの上の地区に来ると、会話や歌声が聞こえてくる。
現役のお店もそれなりにあるようだ。しかしまだ午前10時過ぎ。コロナはどこ吹く風とばかりに溌剌とした雰囲気。
姿は見えないが、「音」で気配や視線を感じるのは不穏な空気。ライカをぶら下げて歩くのはどうも不安でポケットにGRⅢを忍ばせる。
年配の方々だろうか。カラオケの調べと手拍子が聞こえる。
角を曲がると同じような店がずらり。しかしここは看板がない店が多く、ほぼ廃業している感じだった。青空が気持ちいい。
その系の店は大体、不自然なアルミのドアやサッシが変についているのでわかりやすい。
もちろん普通のスナックなどもあるので、現役の店もある程度はあるだろうが、如何せんパッと見ではどちらか悩む建物も多い。
シーサーと並ぶ猫。ちょっとホッとする。
シーサー猫を通り過ぎると視界が開けて公園があった。春休みの子供たちが遊んでいる。
この街で育っていく子供達は何を見て育つのだろう。
公園の反対側へ入る。ここも人の話し声が聞こえる。
雰囲気のよいソファがあったので、やっとライカを出して撮る。
と、その直後である。
「今日はどうですか?」
反射的に首から下げていたライカを襷掛けにして隠した。真横に若い男性と露出の多い女性が座っていた。大丈夫というジェスチャーをして立ち去る。不意打ちだった。そしてやはり現役なんだと確信した。そうかそうか…
松山以外のいわゆる社交街は、昭和とアメリカという独特の街並みを残して令和の時代にも僅かながら現存している。裏文化は壊滅し老朽化と共にこの街もそのうち無くなってしまうのかな。しかしながら新しい看板の店もあるので、裏の街はどこまでも裏として生き延びるのか。
観光には全くお勧めできない場所ですが、見たい方は早めの方がいいかも。
私の他にも数人、不審な社会科見学してる方も見ました。
私は記録に残したい。これも沖縄の歴史の一部ですから。